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マウンテンドライブの思い出

「コーヒーっていいなあ」って思った瞬間や、そんな思い出って、
きっと誰にでもあるんじゃないかと思います。
僕にも、そういう思い出がもちろんあって。
ある風景と匂いが、いまでもやけに鮮明に残っています。
山に向かう途中の、少し古い道。
カーブが続き、ガードレールの向こうには確か針葉樹の林が広がっていました。
エンジン音だけが一定に響く時間帯です。
その道の途中に、小さなコーヒースタンドがありました。
観光地でもなく、SNSで話題になるようなお店でもありません。
(そもそも昔の話でSNSなんて今みたいに流行っていませんでしたし)
看板も控えめで、
「ここ、営業しているのかな」と一瞬迷うような佇まいでした。
それでもドアを開けると、
焙煎した豆と紙カップの匂いが混じった空気がありました。
メニューは多くなかったと思います。
ブレンドと、その日の豆。
ラテもありましたが、
正直なところ、特別においしかったかと言われるとよく覚えていません。
ただ、その一杯を飲みながら、
山に入る前の気持ちが、すっと整って気分が高まったことをよく覚えています。
これからどこへ行くのか、
何が起きるのか。
そういったことを考える前に、
一度、呼吸が戻る感覚がありました。
コーヒーには、
こういう役割もあるのだと、
そのとき初めて腑に落ちた気がします。
しばらくして、そのお店はなくなりました。
理由はわかりません。
閉店のお知らせを見た記憶もありません。
気づいたら、いつもの場所から消えていました。
それでも、山道を走るたびに、
あの紙カップの重さや、少し甘かったナッツの香りを思い出します。
Silent Field Coffeeのラインナップの中の
“Mountain Drive”というネーミングは、
あの時間へのオマージュです。
派手な覚醒を促すコーヒーではありません。
気分を無理に上げるための一杯でもありません。
山道に入る前、
ハンドルを握り直すような感覚。
これから先を、ちゃんと味わうための準備としてのコーヒーです。
あのお店はもうありませんが、
あの感覚だけは、いまもコーヒーの中に残しているつもりです。
走り出す前に、静かに飲む一杯。
あの頃のそんな思い出が、
Silent Field Coffeeの原点です。
text by Masuda (Silent Field Coffee – Roaster / Director)
